剣道と身長と変われなかった私

今週のお題「表彰状」

かつて私は、とある競技で多くの表彰状を獲得した。
それは「剣道」だ。

剣道は、竹刀(竹でできた剣)を使い、
面・小手・胴を叩いて「一本」を取り合う競技だ。
全日本剣道連盟によると、国内の競技人口は約177万人らしい。

ちなみに柔道は約16万人。
海外も含めると柔道の方が多いそうだが、
国内では意外(?)にも剣道の方が多い。

私は小学校1年生から高校卒業まで、
実に12年ものあいだ剣道をやっていた。
人生の半分近くを費やした計算になる。

今日は、私が剣道と向き合った12年間を、
「身長」という観点に注目して振り返りたい。 

1.高身長を武器に戦った小学生時代

小1の春から近所の道場に通いだした私は、
厳しい練習に耐えながらメキメキと腕をあげ、
色んな大会で入賞し、表彰状をもらった。

小学生の私が得意としていたのは、
高身長から繰り出す面と、
小手→面の連続技を軸とした戦法だ。

私は小4あたりから一気に背が伸び、
小6の時には身長160cmを超えていた。
同学年で自分より背が高い相手と戦ったことは、ほとんどなかった。

身長に差があると、背が低い方は面を打ちづらい。
腕を大きく上げないと届かないし、
竹刀が相手の面に届くまでに時間がかかる。
その時間は、力量が同等~格上の相手に対しては、
決定的な隙になり得るのだ。

「攻撃は最大の防御」という言葉がある。
こちらが攻撃して、相手が防御行動をとってくれたら、その間相手は攻撃できない=自分は攻撃されない。
まさに「攻撃は防御」だ。

しかし、剣道は攻撃しようとした瞬間や、攻撃が外れた(=技を放ったものの一本取れなかった)瞬間が一番危険だったりする。
構えや体勢がくずれ、隙ができるからだ。

高身長というアドバンテージを持っていた私は、
小手や胴、そして返し技を中心に戦わざるを得ない相手を、面中心の攻めで打ち破っていった。
そうして、ついには県大会優勝を成し遂げることができた。

2.伸び悩んだ中学時代

そんな私の戦法は、中学時代になると少しずつ通用しなくなった。
その理由は2つ。

1つ目は、身長のアドバンテージがなくなったこと。
ぐんぐん伸びていた私の身長が、中学に入ってからあまり伸びなくなってしまったのだ。

一方、成長期を迎えたライバルたちはぐんぐん大きくなっていった。
中3のころには、私の身長は平均よりやや上といったところ。
かつての私の戦法は、少しずつ通用しなくなっていった。

2つ目は、練習量が減ったこと。
私は中学受験をして、県内有数の進学校に入学した。
その学校にも剣道部はあったので、私は普段は部活で練習し、
ときおり小学生のころから通っていた道場にも顔を出した。

しかし、さすがは進学校
勉強が本当に大変だった。
毎日のように実施される小テストや、
小学生のころとは比べ物にならない量の宿題。
時には練習時間を削って勉強することもあった。

中学に入って最初のころは、問題なく試合に勝てた。
まだ身長のアドバンテージもあり、
体に染み付いた戦法がそのまま通用した。

だが、学年が上がるにつれ、
私は少しずつ違和感を覚えはじめた。

これまで余裕で勝てていた相手に粘られる。
相面(あいめん、同時に相手の面を攻撃すること)で遅れをとる。
これまでの試合ではなかったことが、
徐々に起こるようになってきたのだ。

中1・中2のときは個人戦で優勝できたが、
中3では優勝は一度もなく、最後の夏も全国大会には進めなかった。

3.挫折した高校時代

中学生の私は、小学生時代の財産で剣道をしていた。
スラムダンクでいえば、中学時代の財産で高校バスケをしていた三井寿みたいな感じだ。
(※私は怪我をしたりやさぐれたり道場に土足で上がったり竹刀にツバ吐いたりはしていない。極めて真面目な中学生だった)

だが、私の財産は中学時代で尽きた。
高校に進学した私は、実績を買われて1年生から試合に出場したが、
最初の数ヵ月は引き分けや負けばかりで、なかなか勝つことができなかった。

身長のアドバンテージは完全になくなり、
小学生時代のような剣道は通用しなくなった。

中学時代に、戦法をガラリと変えるべきだったか。
だが、小学生時代の財産で勝てていたこと、そして(完全に言い訳だが)勉強も忙しく練習時間を確保できなかったことで、ズルズルと同じスタイルの剣道を続けてしまった。
なかなか自分を変えられなかった。

結局、高校時代は大した成績を残せなかった。
高校時代に表彰されたのは、学校でもらった皆勤賞ぐらいだ。

私は高校卒業を機に、12年間握ってきた竹刀を置く決心をした。

4.最後に

どうやら私は、楽をしたがる人間らしい。
変わることは大変だし面倒くさいし、エネルギーがいる。
変わらないことは楽だし、安心できる。

高校時代の私は、試合ではあまり勝てなかったが、
練習や部活動は楽しかった。
これはこれで、良い経験が出来たように思う。

だが、もしあのころの私が勇気を出していれば。
これまでの自分を否定し、新たな戦法を身につけようともがいていたら。

生まれ変わった私は、もっと活躍できていたかもしれない。
活躍できなかったとしても、これまでの剣道を否定し、新たな可能性を模索する過程には、何か大きな発見や気づきがあったのかもしれない。

そう考えると、何かものすごく、もったいないことをしてしまった気がしてならないのだ。

...なんだかひさしぶりに、剣道がやりたくなってきた。