ドカンと一発ハゲ頭

今週のお題「ひなまつり」

 

1.ドカンと一発ハゲ頭

 

小学校に上がる前、まだ保育園に通っていた頃。私は友人からその歌を聞いた。

 

♪♪♪

あかりをつけましょ 爆弾に

ドカンと一発 ハゲ頭

五人囃子が 死んじゃった

今日は悲しい お葬式

♪♪♪

 

童謡『うれしいひなまつり』の替え歌である。

 

地域性があるのか、歌詞にはいくつか別バージョンが存在する。「お花をあげましょ 毒の花」だったり「五人囃子の ひげ太鼓」だったり。ちなみに私が聞いた限りでは、五人囃子が被害に遭うという悲しい結末だけは共通していた。

 

 

小さい頃の私は「勢いのある言葉」が好きだった。体の大きな男の先生に「ゴリラ!」と言ったり、尿意をもよおしたら「おしっこ!」と宣言してトイレに駆け込んだり。そんな言葉を友だちと大声で言い合い、何が面白いのかゲラゲラと笑い合っていた。

 

そんな私に、ひなまつりの替え歌はどストライクだった。

 

あかりをつけましょ 爆弾に

ドカンと一発 ハゲ頭

 

女子のすこやかな成長を祈る節句の年中行事、ひなまつり。そんなひなまつりの空気をぶち壊すかのように、突如あかりをつけられる「爆弾」。後に続く「ドカンと一発」というフレーズも、擬音語を用いた小気味いい表現だ。

 

そして何より、最後の「ハゲ頭」。まず、「ハゲ頭」という言葉自体が面白い。そして、「ドカンと一発ハゲ頭」の流れ。あかりをつけられた爆弾が爆発した結果、周囲が焼け野原になるのでも死傷者が出るのでもなく...「ハゲ頭」。この情景描写の妙もたまらなく愉快だった。

 

あかりをつけましょ 爆弾に

ドカンと一発 ハゲ頭

 

私にこの歌を教えてくれた友人は、童謡「森のくまさん」や、平井堅さんがカバーしたことでも有名な「大きな古時計」など、他にも替え歌レパートリーを有していた。彼の薫陶を受け、私は替え歌への愛と情熱を高めていった。

 

 

2.鼻から牛乳

 

小学生になった私は、ある偉大なシンガーソングライターの存在を知った。嘉門タツオ氏である。氏はさまざまな曲をリリースしているが、中でも有名なのが「替え唄メドレー」シリーズだ。

 

小学生の頃、私たち家族は週に一度はみんなでお出かけ(外食など)していた。交通手段は主に車で、父が車を運転し、母がお気に入りの曲を車内で流していた。その中に、嘉門タツオ氏の「替え唄メドレー」シリーズが含まれていたのだ。

 

♪チャラリー鼻から牛乳

 

バッハの「トッカータとフーガ ニ短調」の曲に乗せて「鼻から牛乳」。これはもう、ヤバい。「ドカンと一発ハゲ頭」以来の衝撃だった。

 

 

この曲に触発された私は、「鼻から牛乳」を実現せんと、給食の時間に牛乳を飲んでいる友だちを笑わせようとした。渾身の変顔と奇怪な動きをもって、この試みは成功したが、先生に怒られたのと、後処理が大変だったので2度はやらなかった。

 

 

3.ヅラボローフェア

 

嘉門タツオに出会った私は、替え歌の布教活動にいそしんだ。休み時間になると「替え唄メドレー」のレパートリーを披露し、学期に1度の「お楽しみ会」というイベントでは、希望者が好きな出し物をするコーナーがあるのだが、友人らとユニットを組んでアカペラで替え歌を披露した。ちなみにアカペラだったのは、5人組男性ヴォーカルユニット「ゴスペラーズ」の影響が大きい。

 

そして、布教活動が一定の成果をあげたと判断した私は、ついに替え歌の作詞に手を出した。

 

元ネタとなったのは、当時流行っていたオレンジレンジの「以心電信」と、音楽の授業で登場したサイモン&ガーファンクルの「スカボローフェア」だ。

 

「以心電信」の歌詞は、クラスで噂になっていた2人をターゲットに、その仲をからかう内容だった。最初私が作詞した時はソフトな内容だったのだが、その後級友たちの手にかかって、2人がところかまわず互いを求めあうというハードな内容になってしまった(先生に怒られた)。

 

「スカボローフェア」については、小6の時の担任の先生に「カツラ疑惑」があったことから(実際はそんなことはなく、単に私たちの悪ノリだったのだが)、髪の毛がどんどん抜けていく男性の悲哀をうたった歌をつくった。タイトルは「ヅラボローフェア」(先生に怒られた)。

 

 

4.僕たちをコバンザメ

 

そして、私の替え歌の集大成となったのが、スピッツの「空も飛べるはず」。私の学校では、卒業式とは別に「6年生を送る会」という行事があって、在校生のメッセージの後、私たち6年生が最後にこの歌を合唱することになっていたのだ。

 

布教活動によって仲間を手に入れた私は、熱い議論の末に作詞を完成させた。しかし、ここで大きな問題が発生した。合唱の練習で大声で替え歌を歌う私たちに、本番での替え歌禁止令が出されたのだ(当然だ)。

 

私たちは意気消沈したが、さすがに6年生にもなると少しは分別がついてくる。大事な行事だし、確かにここはまじめに歌ったほうがいいだろう。そうして、替え歌チームは解散した。

 

ただし私には1箇所だけ、どうしても口にしたいフレーズがあった。「僕たちをコバンザメ」である。

 

空も飛べるはず」の2番には、こんな歌詞がある。

 

♪ゴミできらめく世界が 僕たちをこばんでも~

 

この「こばんでも」のところを「コバンザメ」と言いたかった。これだけはどうしても譲れなかったのだ。

 

かつて「少林サッカー」という香港映画が流行っていた。少林拳の達人とその兄弟弟子たちがサッカーチームを結成し、共に全国制覇を目指しながら、失っていた誇りを取り戻していくという物語だ。

 

この映画の中で、本筋とはあまり関係がないのだが、主人公とその兄弟が、酒場のようなところで謎の歌をうたうシーンがあった(私は少林拳の歌と呼んでいた)。

 

少林拳は最高~ コバンザメ~ 少林拳は最高~ 根性焼き

 

ゆったりとしたメロディラインに、意味不明な歌詞。その完成度たるや、もはや替え歌をするまでもなかった。この歌はすっかり私のツボにはまり、クラスの男子たちの間でも大流行した。特に「コバンザメ」は、今風に言えばパワーワードとなった。

 

少林サッカーブームは、小学校3・4年生のころだったと思う。小学生の私は当初、特定の友達との付き合いが主だったのだが、少林サッカーブームと少林拳の歌のおかげで、これまであまり話したことがなかった級友とも打ち解けることができた。コバンザメは、私の友人関係を広げてくれた思い出のワードだったのだ。

 

そこで私は、合唱本番で立ち位置が隣になる友人Kに相談し、彼と2人でコバンザメを叫ぶことに決めた。

 

かくして、6年生を送る会当日。いよいよスピッツの「空も飛べるはず」の合唱が始まった。

 

♪幼い微熱を 下げられないまま~

 

元替え歌チームのKと私は、チラチラ目配せをしながらその時を待った。

♪~ずっとそばで笑って いてほしい~

 

やがて1番が終わった。そろそろ、コバンザメだ。

 

♪~ゴミできらめく世界が 僕たちを「コバンザメ!」

 

互いを横目で見ながら、満面の笑顔で、Kと私は高らかに歌った。たった2人の声だったので、コバンザメはたちまち、周囲の正しい歌詞に吸い込まれていった。でも、私の胸の中は、コバンザメで満たされていた。

 

隣のKも、どこか誇らしげな様子で、しばらくコバンザメの余韻にひたっていたようだった。彼の顔には、かつて私に『うれしいひなまつり』の替え歌を教えてくれた時と同じように、いたずら心いっぱいの笑顔が浮かんでいた。