言い訳/涙

今週のお題「部活」

 

スポーツ選手だったり囲碁や将棋の棋士だったりが、試合で負けた時に涙を流すのに心惹かれる。勝った時の涙よりも。

 

あと3つ勝てば地方大会。負ければ引退。そういえば、10年以上続けてきた剣道人生で最後の公式戦になるかもしれないな。高校3年生の夏、強豪K高校のM選手との対戦を前に、私は淡々とそんなことを考えていた。

 

団体戦はすでに敗退し残すは個人戦のみ。初戦を勝ち上がった私は 2回戦でM選手と当たった。彼は小学生の頃は無名の選手。中学でメキメキと実力を伸ばし、高校最後の夏で県内屈指の強豪校の団体戦レギュラーを勝ち取った。一方の私は、小学生の頃は県大会で優勝したものの、中学高校と伸び悩み、周りに追いつかれ追い越され。成長曲線が正反対だな、と、M選手の努力を想像せずに恨めしくも思った。

 

数歩前へ。互いに礼。 3歩進んで蹲踞。審判の「始め!」の掛け声で試合が始まった。開始直後は互いを牽制し探り合うような攻防が続く。時折、捨て身の攻撃で有効打突を狙う。開始2分頃だったろうか、不用意に手元を上げた私の隙を見逃さずM選手が鋭い打突。「小手あり!」審判の声が響いた。

 

私の高校は県内屈指の進学校でありながら、一部の部活は全国トップクラス。教頭だったか学年主任だったかが誇らしげに「うちは文武両道だ」と語っていたのを覚えている。学校単位で見れば確かにそうなのだが、内実は「文武分業」だと、進学クラスの級友とよく話していた。うちの学校は剣道には力を入れていなかったので、剣道部は私含め全員進学クラスでスポーツクラスの生徒はいなかった。全国常連のバスケ部の一員となるべくスカウトされてくる生徒はいても、剣道枠での入学者はいなかった。

 

「二本目!」 審判の声が響く。剣道はふつう三本勝負で、時間内に二本先取するか、一本取って時間切れになるか、延長戦で一本取れば勝ちだ。自分に残されていたのはあと一分ほど。必死で飛び込み技、連続技を繰り出し、やや守りに入ったM選手を攻め立てる。審判の旗が上がりかける打突もあり、応援してくれていた部員が盛り上がるシーンもあったようだが、結局一本を取ることは出来なかった。

 

進学校だけあって勉強は大変だった。毎日の予習復習、週三回の小テスト。中学で伸び悩んだ剣道を高校でやめ、勉強に専念する選択肢もあったがそうしなかったのは、両立していてすごいねという級友の賛辞が気持ちよかったこともあるが、もう一つ、言い訳できるから、というのも大きい。成績がイマイチの時は、剣道が忙しいから。戦績がイマイチの時は、勉強が忙しいから。こうして文字にすると情けないが、人より優れていることがアイデンティティだった私にとって、勉強だけなら剣道だけなら、自分より優れた人間がすぐ近くにいる環境にあった私にとって、こういう言い訳は魅力的だった。

 

二回戦負け。悔しいけどまぁ仕方ないかな、頑張った。ぼんやりとそんなことを思った。ほかの部員たちの目に私は淡々としているように映ったそうだが、きっと無意識のうちに例の言い訳が、心の調整弁のように発動していたのだろう。そんな私が、あの試合があった日で一番印象に残っているのは、M選手に負けたことではなく、あと一歩で地方大会出場を逃したM選手が泣いていたこと。あたりをはばからず泣くその姿に、私はなぜか、羨ましいな、と思った。

 

晴耕雨読と母ちゃんの夏休み

今週のお題「理想の老後」

 

老後と聞いて、なぜか真っ先に思い浮かんだ四字熟語がある。晴耕雨読。「悠々自適の生活を送ること。晴れた日には田畑を耕し、雨の日には家内で読書をする意から。」

 

小学生の頃、ちびまる子ちゃんの四字熟語教室と言う本を読んでいた。1ページで1つ熟語が紹介されていて、意味や例文とともに4コマ漫画が添えられていた。まる子のお父さんだったかお母さんだったかが、いつか晴耕雨読の生活を送ってみたいなーと言っていたような記憶がある。ちなみにこの◯◯教室シリーズのおかげで、国語のテストは良い点を取れていた。

 

ちびまる子ちゃんには色んなキャラクターが登場する。その中で私は、まる子のお母さんが、あまり好きじゃない。理由は教育に関する姿勢。テストで悪い点数を取った娘を怒鳴りつけているシーンをしょっちゅう目にするが、娘がどうすれば前向きに勉強するだろうかと考えたり、娘の教科書や宿題のプリントに目を通したり、何のために勉強するのか娘と議論したりするのを見たことがない。ちなみにこれらは個人的に、親としてとても大事だと考えている。

 

特に、悪い点数を取った娘を怒鳴りつける行為。ベストセラーの、アドラー心理学入門書の受け売りになるが、たとえば喧嘩して暴力を振るうのは自分の主張を楽に押し通そうとする安直なコミニケーション手段である。言葉で説明する手順を面倒と感じた幼稚な行い。どなりつけたり大声をあげたりするのも、それに類する行為。娘の気持ちに寄り添うことをせず、なぜ宿題をしないといけないか、なぜ勉強しないといけないか説明することもなく、結果だけを見て怒鳴りつけているその姿は不快に感じる。

 

ただ、母親として主婦として、掃除洗濯料理をし、一家を支えていることには尊敬の念を覚える。就職を機に一人暮らしをするまではずっと実家暮らしをしていた私は、母親がご飯を作ってくれることもお風呂掃除をしてくれることも家族全員が風呂に入るのを待ってホースを浴槽に入れて洗濯機を回してくれるのも、一定の感謝はすれど、当たり前に感じていた。一人暮らしをしている今は、ご飯は自動でできないし、掃除をしないと部屋もお風呂も汚れるし、洗濯しないと服もきれいにならないことも身に染みている。

 

先日、春日部駅かあちゃんの夏休みはいつなんだろう」広告が話題になった。目の前の夏休みを満喫することで忙しいはずの子どもが、そういえばと、自分はこうして今夏休みだけど、母ちゃんはどうなんだろうと思いを馳せる。料理や掃除や洗濯をしてくれている母親の苦労を気遣う気持ちがこの疑問には含まれている。素敵な広告だと思う。

 

以上踏まえて、今週のお題。私の理想の老後は、晴耕雨読の生活を送ること。そしてもう一つ、家族や親戚に囲まれて、お互いにお互いの立場を想像し、気配りをしあえるような、そんな暖かい人間関係を持つこと。そして孫にいつか言ってもらおう。「じいちゃんは毎日夏休みなの?」…あれ、なんか違う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドカンと一発ハゲ頭

今週のお題「ひなまつり」

 

1.ドカンと一発ハゲ頭

 

小学校に上がる前、まだ保育園に通っていた頃。私は友人からその歌を聞いた。

 

♪♪♪

あかりをつけましょ 爆弾に

ドカンと一発 ハゲ頭

五人囃子が 死んじゃった

今日は悲しい お葬式

♪♪♪

 

童謡『うれしいひなまつり』の替え歌である。

 

地域性があるのか、歌詞にはいくつか別バージョンが存在する。「お花をあげましょ 毒の花」だったり「五人囃子の ひげ太鼓」だったり。ちなみに私が聞いた限りでは、五人囃子が被害に遭うという悲しい結末だけは共通していた。

 

 

小さい頃の私は「勢いのある言葉」が好きだった。体の大きな男の先生に「ゴリラ!」と言ったり、尿意をもよおしたら「おしっこ!」と宣言してトイレに駆け込んだり。そんな言葉を友だちと大声で言い合い、何が面白いのかゲラゲラと笑い合っていた。

 

そんな私に、ひなまつりの替え歌はどストライクだった。

 

あかりをつけましょ 爆弾に

ドカンと一発 ハゲ頭

 

女子のすこやかな成長を祈る節句の年中行事、ひなまつり。そんなひなまつりの空気をぶち壊すかのように、突如あかりをつけられる「爆弾」。後に続く「ドカンと一発」というフレーズも、擬音語を用いた小気味いい表現だ。

 

そして何より、最後の「ハゲ頭」。まず、「ハゲ頭」という言葉自体が面白い。そして、「ドカンと一発ハゲ頭」の流れ。あかりをつけられた爆弾が爆発した結果、周囲が焼け野原になるのでも死傷者が出るのでもなく...「ハゲ頭」。この情景描写の妙もたまらなく愉快だった。

 

あかりをつけましょ 爆弾に

ドカンと一発 ハゲ頭

 

私にこの歌を教えてくれた友人は、童謡「森のくまさん」や、平井堅さんがカバーしたことでも有名な「大きな古時計」など、他にも替え歌レパートリーを有していた。彼の薫陶を受け、私は替え歌への愛と情熱を高めていった。

 

 

2.鼻から牛乳

 

小学生になった私は、ある偉大なシンガーソングライターの存在を知った。嘉門タツオ氏である。氏はさまざまな曲をリリースしているが、中でも有名なのが「替え唄メドレー」シリーズだ。

 

小学生の頃、私たち家族は週に一度はみんなでお出かけ(外食など)していた。交通手段は主に車で、父が車を運転し、母がお気に入りの曲を車内で流していた。その中に、嘉門タツオ氏の「替え唄メドレー」シリーズが含まれていたのだ。

 

♪チャラリー鼻から牛乳

 

バッハの「トッカータとフーガ ニ短調」の曲に乗せて「鼻から牛乳」。これはもう、ヤバい。「ドカンと一発ハゲ頭」以来の衝撃だった。

 

 

この曲に触発された私は、「鼻から牛乳」を実現せんと、給食の時間に牛乳を飲んでいる友だちを笑わせようとした。渾身の変顔と奇怪な動きをもって、この試みは成功したが、先生に怒られたのと、後処理が大変だったので2度はやらなかった。

 

 

3.ヅラボローフェア

 

嘉門タツオに出会った私は、替え歌の布教活動にいそしんだ。休み時間になると「替え唄メドレー」のレパートリーを披露し、学期に1度の「お楽しみ会」というイベントでは、希望者が好きな出し物をするコーナーがあるのだが、友人らとユニットを組んでアカペラで替え歌を披露した。ちなみにアカペラだったのは、5人組男性ヴォーカルユニット「ゴスペラーズ」の影響が大きい。

 

そして、布教活動が一定の成果をあげたと判断した私は、ついに替え歌の作詞に手を出した。

 

元ネタとなったのは、当時流行っていたオレンジレンジの「以心電信」と、音楽の授業で登場したサイモン&ガーファンクルの「スカボローフェア」だ。

 

「以心電信」の歌詞は、クラスで噂になっていた2人をターゲットに、その仲をからかう内容だった。最初私が作詞した時はソフトな内容だったのだが、その後級友たちの手にかかって、2人がところかまわず互いを求めあうというハードな内容になってしまった(先生に怒られた)。

 

「スカボローフェア」については、小6の時の担任の先生に「カツラ疑惑」があったことから(実際はそんなことはなく、単に私たちの悪ノリだったのだが)、髪の毛がどんどん抜けていく男性の悲哀をうたった歌をつくった。タイトルは「ヅラボローフェア」(先生に怒られた)。

 

 

4.僕たちをコバンザメ

 

そして、私の替え歌の集大成となったのが、スピッツの「空も飛べるはず」。私の学校では、卒業式とは別に「6年生を送る会」という行事があって、在校生のメッセージの後、私たち6年生が最後にこの歌を合唱することになっていたのだ。

 

布教活動によって仲間を手に入れた私は、熱い議論の末に作詞を完成させた。しかし、ここで大きな問題が発生した。合唱の練習で大声で替え歌を歌う私たちに、本番での替え歌禁止令が出されたのだ(当然だ)。

 

私たちは意気消沈したが、さすがに6年生にもなると少しは分別がついてくる。大事な行事だし、確かにここはまじめに歌ったほうがいいだろう。そうして、替え歌チームは解散した。

 

ただし私には1箇所だけ、どうしても口にしたいフレーズがあった。「僕たちをコバンザメ」である。

 

空も飛べるはず」の2番には、こんな歌詞がある。

 

♪ゴミできらめく世界が 僕たちをこばんでも~

 

この「こばんでも」のところを「コバンザメ」と言いたかった。これだけはどうしても譲れなかったのだ。

 

かつて「少林サッカー」という香港映画が流行っていた。少林拳の達人とその兄弟弟子たちがサッカーチームを結成し、共に全国制覇を目指しながら、失っていた誇りを取り戻していくという物語だ。

 

この映画の中で、本筋とはあまり関係がないのだが、主人公とその兄弟が、酒場のようなところで謎の歌をうたうシーンがあった(私は少林拳の歌と呼んでいた)。

 

少林拳は最高~ コバンザメ~ 少林拳は最高~ 根性焼き

 

ゆったりとしたメロディラインに、意味不明な歌詞。その完成度たるや、もはや替え歌をするまでもなかった。この歌はすっかり私のツボにはまり、クラスの男子たちの間でも大流行した。特に「コバンザメ」は、今風に言えばパワーワードとなった。

 

少林サッカーブームは、小学校3・4年生のころだったと思う。小学生の私は当初、特定の友達との付き合いが主だったのだが、少林サッカーブームと少林拳の歌のおかげで、これまであまり話したことがなかった級友とも打ち解けることができた。コバンザメは、私の友人関係を広げてくれた思い出のワードだったのだ。

 

そこで私は、合唱本番で立ち位置が隣になる友人Kに相談し、彼と2人でコバンザメを叫ぶことに決めた。

 

かくして、6年生を送る会当日。いよいよスピッツの「空も飛べるはず」の合唱が始まった。

 

♪幼い微熱を 下げられないまま~

 

元替え歌チームのKと私は、チラチラ目配せをしながらその時を待った。

♪~ずっとそばで笑って いてほしい~

 

やがて1番が終わった。そろそろ、コバンザメだ。

 

♪~ゴミできらめく世界が 僕たちを「コバンザメ!」

 

互いを横目で見ながら、満面の笑顔で、Kと私は高らかに歌った。たった2人の声だったので、コバンザメはたちまち、周囲の正しい歌詞に吸い込まれていった。でも、私の胸の中は、コバンザメで満たされていた。

 

隣のKも、どこか誇らしげな様子で、しばらくコバンザメの余韻にひたっていたようだった。彼の顔には、かつて私に『うれしいひなまつり』の替え歌を教えてくれた時と同じように、いたずら心いっぱいの笑顔が浮かんでいた。

猫と就活とステレオタイプ

今週のお題「ねこ」

 

1.就活でよくある(?)質問 

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面接官「...ありがとうございます。それでは、次の質問に答えてください。」

就活生「はい!」

面接官「あなたを動物に例えると何ですか?」

就活生「...えぇと...」 

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私が就活していたときには遭遇しなかったし、もしかしたら都市伝説のようなものなのかもしれないが、これは就職活動などの面接で定番とされている質問だ。 

 

「あなたを動物に例えると?」

 

この質問は、以下のような観点で就活生を試していると思われる。

・一見就活に関係なさそうな奇抜な質問に、とっさに対応できるか

・自分の性格や行動を客観的に把握しているか

・それを動物に例えて相手に伝えられるか

 

なかなかどうして、難しい質問だ。

 

この質問に対しては、アピールしたい自分の性格・特徴を、その性格・特徴を思い起こさせる動物の力を借りて、相手に伝える必要がある。

 

動物によって想起される典型的なイメージ。

犬なら、協調性や誠実性

イルカなら、協調性や好奇心

ライオンなら、責任感や判断力

といったところだろう。

 

これらのイメージは、広く世間一般で認知されている。その「共通認識」を架け橋にして、相手に自分の性格を伝えるわけだ。

 

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就活生「...(協調性があることをアピールしたい...ここは、コミュニケーションをとりながら円滑に集団行動することで知られるイルカだ!)」
就活生「イルカです。私は大学の〇〇部で...(エピソード挿入)...だからイルカです!」

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2.実家で飼っている猫たち

 

話は変わるが、私は実家で猫を2匹飼っている。

1匹は、10歳を超えた高齢の♀。名前はトゥー(仮称)。

1匹は、6歳くらいでやんちゃ盛りの♂。名前はシュー(仮称)。

 

この2匹、まったくもって性格が違う。

 

トゥーは、マイペースで、人と一定の距離を保ちながら生きている。10年以上一緒にいるが、ベタベタ甘えてくることはほとんどない。普段はお気に入りの場所でゴロゴロして、お腹が空いたときだけ人間の足元にスリスリしてくる。

 

一方、シューは、とにかく元気で人懐っこい。いつも顔をスリスリと擦り付けてきて、なでてやると嬉しそうに目を細める。寝ているときと、トゥーとプロレスごっこをしているとき以外は、とにかく人間のそばに寄ってくる。

 

全く性格の違うトゥーとシュー。仮に、この2匹を社会人に例えるならこうなるだろう。

 

トゥーは、周りに挨拶もするし集団行動もとるけど、基本的には1人で行動し、群れをつくらない。自分のやるべき仕事にもくもくと打ち込む。

 

シューは、周囲とコミュニケーションを積極的にとり、職場のムードメーカーになるタイプだ。とにかく甘え上手なので、上司や先輩にも好かれやすい。

 

同じ猫でも、この2匹は全然違う。シューはどこの会社でも面接は突破できそう。トゥーは出版や編集の仕事が向いてそうだ。


3.ステレオタイプ 


冒頭の会話に戻ろう。

===== 

面接官「...ありがとうございます。それでは、次の質問に答えてください。」

就活生「はい!」

面接官「あなたを動物に例えると何ですか?」

就活生「...えぇと...」 

=====

この就活生は、いったい何と答えるのだろうか。どの動物をチョイスするのだろうか。

 

「ステレオタイプ」という言葉がある。例えば、「A型はまじめ」「オタクはデブでメガネをかけている」など、正しいかどうかはさておき、所属する社会や集団内に浸透している考え方・物の見方・典型的で固定されたイメージのことだ。

 

「あなたを動物に例えると?」「犬です。なぜなら…」という質疑応答も、質問者と回答者との間に、犬についての共通のイメージ(従順、協調性がある)が存在するからこそ成り立つ。

 

ステレオタイプには、良い面もあれば悪い面もある。心理学の分野では「認知資源の節約」という言葉でそのメリットが語られている。私は専門家ではないのでそちらの説明は割愛するが、ことコミュニケーションの場面に限っていえば、ステレオタイプのメリットは「伝達速度の速さ」「相互理解の促進」だと思う。

犬について「従順」「協調性がある」というステレオタイプな認識があるからこそ、就活生は面接官に協調性をアピールすることができる。また、全く別の例になるが「国家の犬」「政府の犬」なんて言葉を使って人をののしるとき(めったにない場面だが)、その言葉に込められた「従順性」を揶揄する意図を理解することができるのは、「犬は飼い主に従順だ」というステレオタイプな認識のおかげだ。

 

そしてもちろん、ステレオタイプには悪い面もある。例えば「黒人は攻撃的」。黒人と言っても1人1人違うし、全体としてそんな傾向があるのかも分からないし、何をもって攻撃的というのかもよく分からない。しかし、こうしたステレオタイプに固執する人も世の中にはいて、それが差別や偏見につながっている。

 

私たちが生きていく上で、ステレオタイプ的なものの見方は大切だ。「あなたを動物に例えると?」と訊かれたら、ステレオタイプの力を借り、相手に自分のアピールポイントを円滑に伝えよう。

 

そして、ステレオタイプにとらわれないものの見方も大切だ。偏見や決めつけに近い言説を見た時は、少し立ち止まって冷静になってみよう。

 

黒人にも白人にも、アメリカ人にも日本人にも、A型にもO型にも、きっと色んな人がいる。同じ猫でも、我が家のトゥーとシューが全然違うように。

 

剣道と身長と変われなかった私

今週のお題「表彰状」

かつて私は、とある競技で多くの表彰状を獲得した。
それは「剣道」だ。

剣道は、竹刀(竹でできた剣)を使い、
面・小手・胴を叩いて「一本」を取り合う競技だ。
全日本剣道連盟によると、国内の競技人口は約177万人らしい。

ちなみに柔道は約16万人。
海外も含めると柔道の方が多いそうだが、
国内では意外(?)にも剣道の方が多い。

私は小学校1年生から高校卒業まで、
実に12年ものあいだ剣道をやっていた。
人生の半分近くを費やした計算になる。

今日は、私が剣道と向き合った12年間を、
「身長」という観点に注目して振り返りたい。 

1.高身長を武器に戦った小学生時代

小1の春から近所の道場に通いだした私は、
厳しい練習に耐えながらメキメキと腕をあげ、
色んな大会で入賞し、表彰状をもらった。

小学生の私が得意としていたのは、
高身長から繰り出す面と、
小手→面の連続技を軸とした戦法だ。

私は小4あたりから一気に背が伸び、
小6の時には身長160cmを超えていた。
同学年で自分より背が高い相手と戦ったことは、ほとんどなかった。

身長に差があると、背が低い方は面を打ちづらい。
腕を大きく上げないと届かないし、
竹刀が相手の面に届くまでに時間がかかる。
その時間は、力量が同等~格上の相手に対しては、
決定的な隙になり得るのだ。

「攻撃は最大の防御」という言葉がある。
こちらが攻撃して、相手が防御行動をとってくれたら、その間相手は攻撃できない=自分は攻撃されない。
まさに「攻撃は防御」だ。

しかし、剣道は攻撃しようとした瞬間や、攻撃が外れた(=技を放ったものの一本取れなかった)瞬間が一番危険だったりする。
構えや体勢がくずれ、隙ができるからだ。

高身長というアドバンテージを持っていた私は、
小手や胴、そして返し技を中心に戦わざるを得ない相手を、面中心の攻めで打ち破っていった。
そうして、ついには県大会優勝を成し遂げることができた。

2.伸び悩んだ中学時代

そんな私の戦法は、中学時代になると少しずつ通用しなくなった。
その理由は2つ。

1つ目は、身長のアドバンテージがなくなったこと。
ぐんぐん伸びていた私の身長が、中学に入ってからあまり伸びなくなってしまったのだ。

一方、成長期を迎えたライバルたちはぐんぐん大きくなっていった。
中3のころには、私の身長は平均よりやや上といったところ。
かつての私の戦法は、少しずつ通用しなくなっていった。

2つ目は、練習量が減ったこと。
私は中学受験をして、県内有数の進学校に入学した。
その学校にも剣道部はあったので、私は普段は部活で練習し、
ときおり小学生のころから通っていた道場にも顔を出した。

しかし、さすがは進学校
勉強が本当に大変だった。
毎日のように実施される小テストや、
小学生のころとは比べ物にならない量の宿題。
時には練習時間を削って勉強することもあった。

中学に入って最初のころは、問題なく試合に勝てた。
まだ身長のアドバンテージもあり、
体に染み付いた戦法がそのまま通用した。

だが、学年が上がるにつれ、
私は少しずつ違和感を覚えはじめた。

これまで余裕で勝てていた相手に粘られる。
相面(あいめん、同時に相手の面を攻撃すること)で遅れをとる。
これまでの試合ではなかったことが、
徐々に起こるようになってきたのだ。

中1・中2のときは個人戦で優勝できたが、
中3では優勝は一度もなく、最後の夏も全国大会には進めなかった。

3.挫折した高校時代

中学生の私は、小学生時代の財産で剣道をしていた。
スラムダンクでいえば、中学時代の財産で高校バスケをしていた三井寿みたいな感じだ。
(※私は怪我をしたりやさぐれたり道場に土足で上がったり竹刀にツバ吐いたりはしていない。極めて真面目な中学生だった)

だが、私の財産は中学時代で尽きた。
高校に進学した私は、実績を買われて1年生から試合に出場したが、
最初の数ヵ月は引き分けや負けばかりで、なかなか勝つことができなかった。

身長のアドバンテージは完全になくなり、
小学生時代のような剣道は通用しなくなった。

中学時代に、戦法をガラリと変えるべきだったか。
だが、小学生時代の財産で勝てていたこと、そして(完全に言い訳だが)勉強も忙しく練習時間を確保できなかったことで、ズルズルと同じスタイルの剣道を続けてしまった。
なかなか自分を変えられなかった。

結局、高校時代は大した成績を残せなかった。
高校時代に表彰されたのは、学校でもらった皆勤賞ぐらいだ。

私は高校卒業を機に、12年間握ってきた竹刀を置く決心をした。

4.最後に

どうやら私は、楽をしたがる人間らしい。
変わることは大変だし面倒くさいし、エネルギーがいる。
変わらないことは楽だし、安心できる。

高校時代の私は、試合ではあまり勝てなかったが、
練習や部活動は楽しかった。
これはこれで、良い経験が出来たように思う。

だが、もしあのころの私が勇気を出していれば。
これまでの自分を否定し、新たな戦法を身につけようともがいていたら。

生まれ変わった私は、もっと活躍できていたかもしれない。
活躍できなかったとしても、これまでの剣道を否定し、新たな可能性を模索する過程には、何か大きな発見や気づきがあったのかもしれない。

そう考えると、何かものすごく、もったいないことをしてしまった気がしてならないのだ。

...なんだかひさしぶりに、剣道がやりたくなってきた。

バレンタインデーを公休にした後輩の話

今週のお題「バレンタインデー」

 

私が勤める会社では、休みの日(公休日)を比較的自由に設定できる。

土日祝日休み、みたいにあらかじめ決められているのではなく、

月毎に一定数の休み(たいてい8日か9日)が与えられ、

それを同じ部署のメンバーと調整しながら、好きな日に設定するというわけだ。

 

2月14日水曜日、私の後輩Aさん(仮称)は公休であった。

彼女は土日を休みにすることが多いのだが、この週はめずらしく平日を休みにしていた。

 

別に、いつ休みをとろうが彼女の自由だ。

ただし、今回の「バレンタインデー公休」には、彼女の複雑な思いがあったように私は感じている。

 

Aさんは、責任感が強く協調性もあり、会社の評価も高い。

自分が任されている仕事は必ず納期までに終わらせようとするし、挨拶も元気で明るく、色んな部署の人間とコミュニケーションを取れている。

 

そんなAさんだが、1つだけ欠点(?)のようなものがある。

彼女は、他人に相談することが苦手なのだ。

責任感の強さゆえか、何でもかんでも自分で抱え込もうとする。

 

私は何度か、仕事の上でAさんの相談にのったことがあるのだが、

こちらから少し質問してみると、必ず何かしらの答え・仮説が返ってくる。

誰かに相談するにしても、先に自分でとことん考え、思い悩んでから。

Aさんはそんな人間なのだ。

 

今年の2月14日は、Aさんが今の部署に来て初めて迎えるバレンタインデーだった。

彼女はきっと、さまざまなことを思い悩んだことだろう。

 

・誰に渡し、誰に渡さないか

・前の部署や女性社員にはどうするか

・何を渡すか

・どれだけお金をかけるか

・いつ買いに行くか

・いつ渡すか

...

 

Aさんは、これら1つ1つの要素について、人一倍考えたことだろう。

もしくは、直近の業務が忙しく、あまり考える時間を取れなかったのかもしれない。

 

どちらにせよ、バレンタインデーまでに納得のいく答えを出せないと感じた彼女は、2月14日を公休にしたのではないだろうか。

 

もしかしたら、私の勘違いかもしれない。

彼女の中ではとっくに、バレンタインデーについての結論が出ていて、

「渡すのは14日じゃなくてもいいか」と、単に14日の水曜日を休みにしたのかもしれない。

 

ただ私にとっては、今後も彼女といっしょに仕事をしていく上で、

今回の「バレンタインデー公休」から考えさせられることがあった。

先輩として、時には「積極的に相談に乗りにいく」ことも重要なのではないか、ということだ。

 

「相談に乗る」というのは、基本的に受け身の行為だ。

相手から相談を受けてはじめて成立する。

ただ、Aさんみたいに思い悩んだ挙げ句バレンタインデーを公休にしてしまうタイプ(?)の相手には、

相手の悩みを察知して、こちらから声をかけて相談を引き出すぐらいのことも、時には必要ではないかと思うのだ。

 

相談に乗るとはいっても、アドバイスをしなければならないというわけではない。

相手の話を聞いてあげるだけでも十分だ。

 

人に話すことで、自分の考えが整理されることがある。

Aさんみたいなタイプは、自分で物事を考えるのが得意だ。

先輩である私に必要なのは、話を聞いてあげて、頭の中がパンクしないように、考えがまとまるように手助けしてあげることなのだろう。

 

2月15日、Aさんは元気に出社して、部署のみんなにチョコを配っていた。

そのチョコは日本酒入りで、どんな味がするか気になるから買ってみた、とのことだった。

 

Aさんはアルコールに強くないので、自分では食べず、みんなの反応を楽しみたいらしい。

そういって笑うAさんの顔は、入試が終わった後の受験生みたいに、何かから解放されたかのようにスッキリしていた。